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町指定文化財の大日如来のほか、子どもの寝小便をなおす子育ての神、西山地蔵尊を祭る。
文政7年(1824)の開基。念仏の大行者徳本上人が開山した。本堂は嘉永7年(1854)12月に紀州藩主徳川治宝の命により建立されたもの。上人の遺品、徳川ゆかりのもの多数あり。
雨司権現ともいい、紀伊続風土記「社地周五町、中組にあり、往還より八町、東の山にあり、社地に水穴風穴という穴二つあり云々」と記載されている。往古より雨を司どる神として近郷の人々から信仰を得ている。
高家王子跡、県指定重要文化財。萩原にあるのに高家王子と呼ぶのは、高家庄(高家、池田、原谷、萩原、荊木)の総社であったためといわれている。内原王子神社の名称は昭和二十三年、宗教法人法の成立により社地国有財産譲与許可を大阪管財局に申請した際に管財局から村の名称にせよとのことで内原村の内原王子神社として申請したためである。
貞元三年、浄念法印坊がお姿発見が始まりとある。弘仁二年春空海(三十七歳)八葉蓮華の石上に座し二十一日間の業を修する。その間、椎の古木にみずから自分の姿を刻みたりと伝えられる。現在奥の院に保存するも当時の模様は不明。天長七年(五十八歳)石に刻みし弁財天像と五輪塔もある。参道中ごろに徳本上人の南無阿弥陀仏の石塔あり。大師自作像の公開は50年に1度
向山四号古墳で大池の南、弁財天山にあり、弥生式小坩、矢鏃、刀身その他数々の出土品が出ている。緑泥片岩の石棺二組あり当地方で円墳の形を残しているのはこの古墳だけである。県指定文化財(史跡)
独特の音階をもつ徳本念仏講として今も盛んに行われている。
九十九王子の一つ。馬に餌を与えたり、休息をとらせた場所ではないかと推測されている。沓掛王子社と内ノ畑王子社の間にあるので間(はざま)王子社ともいう。
鍵掛王子ともいう、九十九王子の一つ。峻険な峠越えの後では沓(わらじ)も相当に傷んでしまう。そこで、ひと休みして沓をかけ直したのでこの名がある。
紀伊続風土記に「此の地武内宿弥、誉田皇子(後の応仁天皇)を守り奉りて、日高にきたり御産湯を奉りし地なるをもって、これを村名に呼び奉るという」又、紀伊名所図会にはアコウとともに七ツ井が載せられている。昔は井戸が七つあったと伝えられるが、現存しているのは井戸一つである。この地では「難産なし」といわれている。