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山門,阿弥陀堂,銅鐘,高麗王若光の墓などがある。拝観料あり。
高麗王若光を偲んで建立。出世の神として信仰される。
交通の要路にあたり,建武二年の北条時行軍と足利直義軍との合戦場。
縄文時代中期の遺跡・竪穴住居跡。
高麗神社の境内裏手にある。高麗神社の宮司を勤めた若光の子孫代々の住居で,正面14.8m,側面9.5mの入母屋造。屋根は茅の間に杉皮をはさんで葺かれ,5つの部屋と比較的狭い土間からなる。柱の数は多く,梁には全般的に細い材料を用い,手斧仕上げで丸みを出しており,これらの手法からみて17世紀後半頃の創建と推定される。現在の建物は江戸中期に再建されたものを昭和51年解体,ほぼ創建当初の形に復元したもの。(平成9年2〜5月にかけて,改修済<屋根のふき替え他>)
ふるさと歩道のコースで展望台からは遠く新宿の高層ビルをはじめ関東平野が一望できる。
江戸末期から明治初期にかけて建築された古民家です。母屋、客殿、納屋と2つの土蔵があり、施設を利用して催事を行うこともできます。
日高市内を流れる高麗川は,ほぼ円形に近い形に蛇行している。川に囲まれた土地を利用して,水田を開き米を作った。秋には黄金色に実った稲穂が波打ち,近くの日和田山(標高305m)からの眺めると,それはあたかも小銭を入れる巾着の形そのものだった。いつしかここを人々は巾着田と呼ぶようになった。秋の彼岸の頃に曼珠沙華は圧巻。
奥武蔵自然歩道のコースで,眼下には巾着田が見える。日高市産業振興課(042)989-2111
樹齢900年余りで、現在の樹高は約17m、幹周りは約7mの巨木、昭和7年に指定(天然記念物)された当時は、樹高が36mという記録が残っています。