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神武天皇が八咫烏に導かれて大和の国に入って来たときに、軍の休息のために築いたわが国最古の城跡。
昭和45年全遺構が発見され,現在は史跡公園。
前方後円墳など四基の古墳群からなっている。わが国最古のものである。
3棟からなり,各一間社隅木入春日造,屋根は桧皮葺。各棟とも同一規模で蟇股に優れた彫刻を施している。第1殿に元応2年(1320年)の棟木銘があり鎌倉末期の建立といわれている。国宝本殿に向かって右側には末社春日神社本殿と末社宗像神社本殿が並ぶ。
神武天皇が大和平定のために陣を張っていた時に植えられたものと伝えられ桜実(さくらみ)神社の境内にある杉の巨木。ひとつの株から伸びた8本の幹が互いにからみあい,ある幹は途中で1本になり,再びわかれるといったきわめてめずらしい樹形の老杉,根元の周囲9m,樹高14m。
元高野と呼ばれ,鎌倉時代の堂宇と平安仏があり,いずれも重文。古寺の静けさを保つ。
元和元年から元禄8年までの80年間、織田氏の城下町として栄えたころの名残をとどめる遺構史跡。
大蔵寺前バス停から小さな千本橋をわたって東へ2km,ケヤキの老樹におおわれている片岡家は,この地方の旧家で江戸時代を通じて代々大庄屋を勤めてきた家柄である。主屋は桁行14.9m,梁間8.9m。入母屋造りの茅葺きで寛文10年(1670)の建築,四間取形式で,土間沿いに出居と台所が設けられている。客室部は天明2年(1782)の改築,間取りや構造に特色が見られる。見学は事前に申込むこと。
町域の東端近くにあって,古くからこの地の大庄屋を代々勤めてきた家柄である。主屋は寛永年間(1624〜44)の造営で,桁行16.6m,梁間12.4mの入母屋造り。茅葺きの典型的な大和風民家で,背面と側面に棧瓦葺きの庇をつけている。なお表門は19世紀に入っての建築。見学は事前に申し込むこと。