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聖徳太子が飛鳥から斑鳩へ向かう途中このあたりで休息した際、西に向かって「南無阿弥陀仏」と唱えたところ、空中に生身の地蔵が現れたため、その像を彫ってこの地に安置したとされる。地蔵には厚く油が塗られており、この油をできものに塗ると直るという信仰がある。
六面の鏡を祀ることからこの名が付く。毎年2月11日(もとは2月14日)午後7時から「子出来おんだ」祭りが行われる。五穀豊穣、子孫繁栄を願い演じられる演目は古い芸能の名残を残しており、その重要性から2006年に県指定文化財に指定された。
島の山古墳の西側に接し、久波御魂(クバミタマ)神、天八千千(アマハチチ)姫を祭神とする神社で、平安時代に成立した「延喜式」に記載のある式内社である。県指定文化財である本殿は春日大社摂社若宮神社本殿を移築したもの。拝殿と本殿の間には島の山古墳埋葬施設から持ち出された平石が敷かれている。
本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代の秀作として国重文に指定されている。また、表門および本堂は平成17(2005)年に県指定文化財に指定された。
由緒ある古社で「延喜式」に記載のある式内社。祭神は豊鍬入姫(トヨスキノイリヒメ)。県指定文化財のおかげ踊り絵馬、太鼓踊り絵馬がある。特に太鼓踊り絵馬内には役人や見学人、西瓜の切売りが描かれるなど、当時の様子が描かれている。
平安時代創建と伝えられている寺院で、六県神社と境内を一にする。南北朝時代に建てられた現在の本堂は国重文に指定されている。本堂には本尊の木造釈迦如来坐像等の仏像が安置されている。
全長約190mの大型前方後円墳。平成8年(1996)の発掘調査により、大量の石製品が出土し、これらの出土品は国重文に指定された。出土品の一部は橿原考古学研究所附属博物館で見ることができる。
観阿弥・世阿弥親子が能楽観世流をつくりあげた地を記念して碑が建てられた。碑に刻まれた「観世発祥之地」の文字は観世流第二四世観世左近氏の筆によるもの。この面塚に隣接して平成17年(2005)に結崎面塚公園が造られ、憩いの場として活用されている。
今村家は東安堵村草分けの旧家のひとつで、「北垣内一統」と呼ばれていました。江戸時代の中ごろより村の役人として庄屋などを勤め、幕末には私塾をひらいて、天誅組で有名な伴林光平とも深い交流をもっていました。こうした新しい時代を予知する空気のなかで、奈良県近代史の父である今村勤三が成長していったのです。彼や町内を代表とする先覚者を顕彰し、文化財を掘起こすために、今村低を歴史民族資料館として文化普及としました。
大和川北側の低地に,隣家とともに二重の堀をめぐらした広大な屋敷内に立つ。橋を渡り表門をくぐると大和棟の美しい母屋と新座敷,米蔵などの付属屋がある。母屋は1659(万治2)年の創建と推定され,部屋への出入口は帳台様となり,土間には長大な梁を使うなど古風な技法が見られる。11個のカマドが並ぶのも壮観で,珍しい蒸風呂もある。