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聖徳太子が開さくしたと伝える三つの井戸のうち、現在、赤染の井だけが残る。
法輪寺と法起寺の中間、瓦塚という丘陵の中腹にある。天平前期の様式を持つ蓮華文のある軒瓦が出土した。法輪寺と法起寺の瓦が作られた場所だと推定されている。
現在の中宮寺の場所から東へ約500m余りの中宮寺池(埋立済)付近にあり、塔、金堂跡が発見された。聖徳太子が母、穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう)のために建立されたとされる。太子の斑鳩宮・岡本宮・葦垣宮の中間に当たるところから中宮と称したため、中宮寺と呼ばれるようになった。
法隆寺の西隣りにあり、もともとは法隆寺を支えた大工集団の本拠地であった。今も、歴史を黙々と伝える土壁や鳩倉等が残る旧村60軒ほどの家が、およそ300m四方の範囲に、落ちついたたたずまいを見せている。
宿場町として栄えた町で、古い家が残っている。龍田神社付近は、昔「龍田市」が開かれ、西和地方の重要な商業地であった。また、当麻街道との交差点でもあった。
法起寺周辺の休耕農地、約2万平方メートルがコスモスの花で彩られる。秋の斑鳩の代表的な風景である。
「歴史街道」の情報や県下の観光情報を提供するほか,法隆寺をはじめとする斑鳩の里を案内する。
聖徳太子創建46ケ寺の1つ。<拝観要予約〉
祭神は風を司る神で五穀豊穣・航海安全に霊験あり。
信貴山東麓に鎮座。春日造りの本殿は重文。