全日本の観光地へ
貝が化石となり石灰岩を形成。造陸運動により隆起。海抜260mの丘陵にある千手院の庭に大露出。
小田川の支流雄神川が、黒い輝緑岩の台地である雄神台と雄宝台の間を深く削ってできた渓谷です。雄神川は永祥寺の南へ流れ出ています。末広の滝、稚児の滝、竜門の滝、座禅岩、八畳岩、不動岩などの奇岩怪岩の間を流れる清流に、アカガシ、ヤブツバキ、ハナイカダなどの樹木が映えて、渓谷美をかもしだしています。
1891年に作られ,ここの水が滝を作って道祖渓に流れる。
一帯は市民憩いの場として,花見,散歩などで親しまれる。
晩年の傑作「奥の細道句抄絵」によって近代風景画のひとつの頂点に達したといわれる日本画家・小野竹喬画伯は、明治22年に笠岡に生まれている。その芸術は、無心になって自然と対話しつつ、自然の精神的な美しさと客観的な正しさを追求した独自のものといわれている。
カブトガニが生息・繁殖している笠岡市にあり、カブトガニをデザインした館内には、カブトガニと生物進化の歴史がわかる展示がされている。また、カブトガニと同時代を生き、絶滅した恐竜の原寸大の復元模型と化石植物といわれるイチョウ、メタセコイア、シダ等の植栽で原始の世界を再現した「恐竜公園」も併設されている。
延長250mにわたって、きめ細かい砂浜が続く海水浴場。周囲にキャンプ場も整備1されている。
延長500mにわたって続く白い砂浜と澄んだ海が美しい県下屈指の海水浴場。シーカヤックやウインドサーフィン等のマリンスポーツも楽しめるほか、白石島内には2kmから5kmのハイキングコースもあり、高台からの展望が素晴らしい
笠岡代官所管轄地の有志一同の申請と拠出金によって寛政9年(1797)創設された郷校。地元備中はもちろん備前、備後、安芸、長門、豊後等の国々からやってきて学ぶ者も相次いだ。明治政府になって公立学校が整備されるにつれて衰微し、明治16年(1883)ついに86年の歴史を閉じた。
白鳳時代から平安時代末期まで栄えた寺の跡。奈良前期様式の瓦が出土した。