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奈良時代の塔の心礎であるが,文献が残されていないため、詳細は不明。国指定遺跡(塔跡)
戦国時代の天正10年(1582)6月、清水宗治の守るこの城を羽柴秀吉が城の前面に堤防を築き、足守川の水を引き入れて“水攻め”を行った合戦跡として名高い。本丸跡と築堤の一部は今も残っている。
全長150mの前方後円墳で後円部頂上の天計神社社殿の床下に竪穴式石室の天井が露出している。国指定史跡。
吉備路の象徴的な山塊,山全体が歴史的遺産,頂上には吉備津彦命をまつる前方後円墳がある。
縄文末期から中世末に至る各年代の遺物層を含む。
全長350m。履中天皇陵に次ぐ全国第4位の規模をもつ前方後円墳で、上・中・下の3段からなり、円筒埴輪の列をめぐらしている。付近に6基の古墳があり、その中で千足古墳は石室に直孤文の彫刻があり有名である。
旧山陽道にあって,一里塚の形式の最も完全なものであった。国指定史跡。
築城の時期については定かでないが、平清盛の重臣で備中国妹尾郷を本貫地とした妹尾氏一族の居館地に始まり、戦国時代には備北の三村氏の持城となったこともある。中国征覇の毛利氏にとって備前宇喜多氏に対する境目城として重要な城であり、城主として毛利氏の上山兵庫介、植民部大輔が在城している。天正10年(1582)羽柴秀吉により落城している。板倉氏二万石の陣屋として明治維新に及んだ。
藩主池田光政が創設。昭和20年の空襲で藩池を残し講堂,校門等焼失。
漆くい塗りの長屋門の中に茅葺書院造の母屋など武家屋敷の遺構がのこる。