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多くの大名家を檀越とした。諸大名の墓所がある。
大正9年11月に創建され,明治天皇・昭憲皇太后がまつられている。現建物は昭和33年復興したもの。内苑と外苑に分かれており、内苑には日本各地や朝鮮半島・台湾からの献木が計画的に植えらている。1970年には17万本まで増え、都心部の貴重な緑地として親しまれている。外苑には、野球場、テニスコート、ゴルフ場、フットサルコートなど各種スポーツ施設が完備されている。また世界的にも有名なイチョウ並木が外苑にある。
建暦2年の創建と伝え代々木一帯の鎮守様で毎年2月1日にもちつき唄が行われる。
渋谷氏の祖,河崎基家が創建したといわれる。江戸時代前期から中期の建築様式をとどめている。貴重な建物。
「後3年の役からの帰途、八幡太郎源義家が、ここにあった池で源氏の軍旗「白旗」を洗い傍らの松の木で乾かした」、という伝説がある。これが現在の幡ヶ谷の地名の由来になっている。この池は、肥前唐津藩主小笠原家の邸内にある、自然湧水の60平方メートルほどの池であったが、昭和38年に埋められ、現在は東郷平八郎筆の記念碑が建っている。
約2,000年前の竪穴住居跡。
二百数十体の石仏が並んでいる。地蔵信仰・観音信仰による。
縄文式中期時代(4500年〜5000年前)の竪穴住居跡、出土器は加曽利E式。
縄文後期〜晩期のもの。貝塚のほかに泥炭層があり、縄文後期の加曾利B式土器片や石器も発見されている
2基の築山が並んでおり,6〜7世紀の古墳時代末期の円墳といわれている。このうち高さ5mほどの大型のものが「猿楽塚」と呼ばれ,町名の起源となっている。