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長寿寺の鎮守社。長寿寺本堂南側にある見事な室町建築の拝殿は重文。三十六歌仙の板額が保管されている。
良弁開山の古刹。東寺とよばれ信楽宮の鬼門鎮護の寺とされた。鎌倉期の本堂は国宝。弁天堂など重文数点。
正面7間、側面6間、単層、入母屋造、桧皮葺。内陣と外陣に分かれた大きな堂で、外観には正面の柱間に格子造の蔀戸をはめ、左右両端には連子窓、二手先の組物がある和様である。本堂前には石燈篭が立つ。寺宝拝観(要予約)。
5間四方、単層、桧皮葺、近江では珍しい寄棟造の本堂で、屋根の曲線が美しい。建造年代は明らかではないが、藤原時代の名残をとどめた鎌倉時代初期の建築と伝えられる。寺宝拝観(要予約)。
応永7年(1400年)の建立にかかる和様の三重塔である。内部には禅宗様須弥壇を置き、壁面には壁画や彩色文様が描かれていると言われている(非公開)。
本来の名前は野洲町立歴史民俗資料館。町内からは弥生時代の祭器とも、楽器ともいわれる銅鐸が24個も出土しており、9面マルチを使用した銅鐸の映像や、銅鐸に触れるコーナー、銅鼓、大岩山銅鐸などが展示されている。また、竪穴式住居や高床式倉庫も復元されている。
不平な検地に反対し、農民のために命をかけた土川平兵衛らの偉業をしのぶ保民祠や碑が建っています。また毎年、10月15日には犠牲者の霊を慰める天保義民祭が天保義民碑前で行われています。
一見神社に見えるような寺で、正式には歓喜山長福院円光寺と呼ばれ、江戸時代に観音菩薩を本尊とする長福院と、阿弥陀如来(国指定重要文化財)を本尊とする円光坊が併合されて再興されました。本堂は、流造りのような形をした寺としては珍しい切妻造りの屋根で、全体に簡素な造りとなっています。境内にある九重石層塔は鎌倉時代の作で国指定の重要文化財となっています。
平家物語で知られる妓王と妓女の姉妹は、野洲市の生まれ。平清盛から寵愛を受けた白拍子の妓王は、干ばつで苦しむ故郷の村人を救うために、清盛に願い出て水路(現在の祇王井川)を掘らせました。この寺は村人が妓王らに感謝して、その菩提を弔うために建てられたもので、寺内には、妓王と妓女、母親、そして仏御前の4人の像が安置されています。
本殿は国宝で、室町時代に建築されたものです。外部に施された彫刻がみごとで、当事の東山建築文化の粋を極めています。また、この地域は、良質のもち米が穫れることから、鏡餅の元祖をまつった「餅の宮」が境内に建てられています