全日本の観光地へ
碑石蒲鉾型の石碑。碑文表面にオランダ文でこの由来が書き込まれている。「この地下に正座のままの姿で埋没してある尊敬すべき人、その名をケイスベルト・ヘンミー先生という」となっている。その主な使命は日本との通商であり、オランダの使節として徳川将軍に会見し、長崎へ帰る途中、寛政10年4月24日、掛川宿中町の役人林喜太右衛門方に泊り、たまたま病気にかかりこの地で死去した。ときに寛政10年(1798)6月8日であった。
市内の大日寺にあり、竿石には婦人像が浮き彫りになっており、ラテン語のPatriをあらわすとおもわれる文字もきざまれている。
三代目菊五郎は、江戸の猿若町菊屋万平といい、嘉永2年4月24日掛川にきて中町の捻金屋治右衛門方で病気にかかり、死亡したので広楽寺に葬った。当時の過去帳に栄松院菊宝梅寒と記してある。
夜泣石は掛川市日坂にあり、昔妊婦がこの小夜の中山で盗賊に殺され、傍に生まれ落ちて泣く嬰児と共にこの石も泣いたという。この伝説にちなんで売られる「子育飴」は全国的に有名である。
貞和元年(1345)の創建。5月末から6月にかけて、寺の敷地内にあじさいが咲き誇る「花の寺」として有名である。また、マキとナギの木を整枝して作られた山門は、県指定天然記念物に指定されている。
1,000年以上の歴史を持ち、戦国時代に築城された掛川城の守護神にもされた神社。また、境内の花庭園では、2月中旬〜3月下旬にしだれ梅、6月上旬〜7月上旬まであじさいを見る事ができ、特にしだれ梅は境内に250本余並らび見る者を感動させます。
1656年掛川古城内に建立。嗣子のない北条氏重が三代将軍家光の霊を祀り、家の存続を願ったという霊廟です。県指定有形文化財。
円満寺に移築されている蕗の門は、かつて掛川城内にあり、城外、侍町より、本丸・二の丸・三の丸の要所を結んでいました。市指定文化財。
小夜の中山峠に位置する古刹。山内一豊が関ヶ原合戦のきっかけとなる会津上杉攻めの軍を大阪より進めてきた家康をもてなした茶亭の跡地や、その礼に家康が植えたとされる五葉松の跡が残っています。また、夜泣石伝説ゆかりのお寺としても有名です。
旅の途中掛川宿で病死した江戸時代の歌舞伎役者、三代目尾上菊五郎の墓があり、また静岡県の盲学校発祥の地でもある。