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寿永3年(1184)、木曽義仲追討の源氏の軍勢が、富士川の洪水でこの付近に留まったとき、武将梶原源太景季と佐々木四郎高綱が頼朝から拝領した生食(池月)、摺墨の名馬をめぐって争いになろうとした場所と伝えられている。
双方中方墳という全国でも類例が少ない珍しい古墳。県指定史跡である。
源氏と平家の大軍が富士川をはさんで対陣したのを記念して、平家越え橋のたもとに碑が建てられている。
国指定史跡である。前方後方墳で駿河国の王の墓と推定される。
遺物・出土量・規模とも、本市最大で、海抜80〜120mの台地に位置する。天間沢遺跡公園がある。
愛鷹山麓の丘陵斜面を利用して作られた円墳。墳丘の全面には河原石による葺石が施されている。県指定史跡である。
富士川の合戦に際し、源頼朝率いる源氏の軍勢がこの付近の高台一帯に陣を敷き、ここで呼子を吹いて軍勢を集めたことからこの呼び名が付けられたと伝えられている。また、「手児の呼坂」という伝説からこの名がうまれたという説もあり、同様の伝説は市内元吉原地区にも残されている。
江戸時代初期に、富士川の水流を弱めるため造られた逆L字型の堤。雁堤の名称は、雁が連なって飛ぶ形に似ていることからつけられた。市指定史跡である。
二段築成の円墳で、古墳後期初頭の成立とされる。埴輪が出土。県指定史跡である。
樹勢は旺盛で枝葉がよく茂る。また乳状下垂も多い。樹姿も美しく貴重な存在。樹高26m。目通り6.2m。