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銅鐸の出土状況を模型にて再現している
万葉集にも歌われ,柳の大木があったと伝えられている
万葉集に「遠江引佐細江のみをつくし、吾れをたのめてあさましものを」と歌われている。「みをつくし」は昔、灯台の役目をしたもので、文献的に残る航路標としては、日本最古のもの。現在は海岸にその模型をたてて歴史をとどめている。
江戸時代約250年間12代にわたり気賀関所を預かった近藤家の墓
この寺の庭園は「満天星(どうだん)の庭」として有名で、北方の山波が借景として生かされ、その山中に方形のいらかを見せて本堂が納まっている。庭一面にドウダンツツジが植えられ、春は花、秋の紅葉、冬は枯枝と、季節の移り変わりにつれて、その眺めが趣きを変え、打たれた石組と調和して美しさをみせる。小堀遠州作と伝えられる回遊式名園である。
平安時代初期に弘法大師によって開かれたといわれる。小堀遠州の作と伝えられる満天星の庭がある。
境内には天然記念物の天台烏薬の木や、珍しい植物がある。
地震厄除の神,7月第3日曜日は御神体が浜名湖上を船で渡る祇園祭りがある。
かつては中国風の七堂伽藍が並んだが本堂・方丈などが残る。珍しい石仏もある。
永禄11年,内山党といわれる人達が徳川家康の軍とこの城で戦った。