全日本の観光地へ
西郷や長州の木戸と共に明治維新の三傑といわれ明治政府の中心的役割を果たした。
妻おりょうと海路鹿児島を訪れた坂本竜馬は、日本の新婚旅行の風俗のはしりと言われている。
薩摩刀の名工波平行安派の遺跡
鹿児島生れ。藩士。財界人。関西貿易会社など設立。のち大阪商法会議所初代会頭。大阪財界の指導者。
西南戦争の末期,明治10年9月24日官軍の総攻撃が始まり,別府晋介の介錯でこの地に果てた。満49才。
木曽・長良・揖斐川の治水工事で犠牲となった平田靭負らを祀って大正9(1920)年に建てられた。
日露戦争で功績のあった東郷平八郎元帥の遺髪が葬ってある。元帥の命日5月30日には慰霊祭がこの記念碑前で挙行される。
木曽三川の治水工事の総奉行として、世紀の大工事を完成させた江戸中期の薩摩藩家老。昭和29年,薩摩義士200年祭を記念して建立された。
西南戦争戦死者2023名を葬り、正面に西郷隆盛、左右に桐野利秋、篠原国幹らの墓石749墓が並ぶ。
西郷隆盛が幕末の勤王僧月照と相抱いて入水し、西郷だけが息を吹き返し蘇生した家である。