室町幕府の将軍足利尊氏(1305〜1358)が、元々この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされる古刹。高安寺には源義経と武蔵坊弁慶がこの地に居住した折り、大般若経を書き写すために、境内にある井戸の水で墨をすったという伝説があり、今も「弁慶硯の井」と呼ばれる古井戸跡が残っています。本堂・山門・鐘楼・観音堂は東京都選定歴史的建造物に指定されています。
東京都府中市片町2-4-1
(1)分倍河原駅から徒歩で
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