柴田勝重の墓

東京都三鷹市新川4-4-22春清寺
連絡方法
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営業時間
  • 営業日: 

基本情報

織田信長の死後、柴田勝家が豊臣秀吉に滅ぼされた後、孫の勝重は成人すると徳川家康に仕えた。そして、上仙川・中仙川の地を与えられた。今の新川団地のところに勝重の陣屋があったと、『新編武蔵風土記稿』などに記される。この地は島屋敷遺跡と呼ばれ、団地の建替工事に伴い発掘調査が行われた。80年ほどで柴田家の仙川の知行は終わり、以後は幕府の直轄地となる。勝重は、寛永9(1632)年、52歳で病死。春清寺墓地には宝篋印塔型の雄大な墓がある。法名は「揚源院殿雄山浄英居士」である。また、十世勝房が寛政8(1796)年に建立した柴田家の由緒を記した碑もある。なお、新川の勝淵神社境内には勝重が勝家の兜を祀ったという塚がある。

住所

東京都三鷹市新川4-4-22春清寺

アクセス

(1)JR三鷹駅からバスで
コミュニティセンター西から徒歩で

その他


詳細情報

  • 予算

    -

  • 駐車場

    -


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