幸田露伴の『五重塔』で知られたこの塔は、戦後に焼失し、現在は礎石を残すのみである。棟札なども焼失したが、その写真や記録は残っており、天王寺の前身である感応寺五重塔として設立されたものの、明和9年(1772年)に焼失し、寛政3年に再建完成したという。
東京都台東区谷中
(1)日暮里駅から徒歩で3分
時代:寛政3年(再建)
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