明治17年、東京大学の有坂しょう蔵、坪井正五郎、白井光太郎の3人が、根津谷に面した貝塚から赤焼きのつぼを発見した。これが後に縄文式土器と異なるものと認められ、発見地の地名を取り弥生式土器と名付けられた。しかし、最初の発見地についてははっきりせず、近年まで3説があったが、昭和49年の東大浅野キャンパス内の発掘により、この地(従来の3説の地とは異なる)が最有力とされている。現在弥生式土器発掘ゆかりの地の碑がある
東京都文京区弥生2-11
(1)東京メトロ「根津」駅から徒歩で
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