島原の乱寛永14〜15年(1637〜1638)の5年後、イタリアの宣教師ペトロ・マルクエズら10人が筑前に漂着、すぐに江戸送りとなり伝馬町の牢に入れられた。その後、宗門改役の井上政重の下屋敷内に牢や番所などを建てて収容したのが切支丹屋敷の起こりである。寛政4年(1792)の宗門改役の廃止まで続いた。鎖国禁教政策の下で、宣教師や信者を収容した。宝永5年(1708)イタリアの宣教師ヨハン・シドッチが屋久島に渡来し、この切支丹屋敷に入れられた。徳川6代将軍家宣に仕えた新井白石はシドッチを尋問し、『西洋紀聞』にまとめられた。現在切支丹屋敷跡の記念碑がある。
東京都文京区小日向1-24-8
(1)東京メトロ「茗荷谷」駅から徒歩で
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