美幾女は、駒込追分の彦四郎の娘で、10歳で本郷の旧家に奉公していたが父のけがで遊女になったといわれている。彼女は病死を予期し、自らの意志で死後解剖のために提供する特志解剖のすすめに応じ、父母・兄連署のうえ、東京府に提出した。その後、明治2年(1689)8月34歳で没した。わが国最初の病死体の解剖は、旧下谷和泉町の医学校の仮小屋で行われた。
東京都文京区白山2-9-12念速寺
(1)東京メトロ「後楽園」駅から徒歩で
(2)都営地下鉄「春日」駅から徒歩で
-
-