江戸後期の蘭方医。眼病治療で名声を高め、文化7年(1810)からは幕府の奥医師を務めた。文政9年(1826)江戸の長崎屋に滞在中のドイツ人医師シーボルトを訪ね、眼科の治療法を学んだ。その際、お礼の品を贈ったことが発覚した「シーボルト事件」で処罰される。後にその罪は許され、眼科医として名声を得た。境内には墓と石碑が立っている。
東京都中央区築地3-15-1本願寺築地別院内
(1)築地駅から徒歩で(東京メトロ日比谷線)
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