鎌倉七切通の一つ。鶴岡八幡宮から建長寺へ通じる山道で、1240(仁治元)年、北条泰時が自身の所領地である山ノ内への便を目的に開いたものである。鎌倉と武蔵を結ぶ要路であり、新田義貞の鎌倉攻めでは大激戦が展開された。明治初期、この山裾に現在の新巨福呂坂が切り開かれると、しだいにすたれ、今では八幡宮側から200mほどで行き止りになっている。
神奈川県鎌倉市雪ノ下
(1)鎌倉駅から徒歩で
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