伊奈備前守忠次(1550〜1610)は三河の出身で、徳川家康に仕えて絶大な信頼を得、関東郡代となって活躍しました。特に測量、土木技術に優れ、利根川や荒川の治水事業に業績をあげています。また、その後を継いで手腕を発揮したのが次男の伊奈半十郎忠治(1592〜1653)で、本格的な「利根川の東遷」、「荒川の西遷」を行った人物とされています。勝願寺には忠次・忠治とその夫人の墓4基があります。
埼玉県鴻巣市本町8-2-31(勝願寺)
(1)JR高崎線鴻巣駅から徒歩で
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