外川<とかわ>の町並は、紀州広村(現在の和歌山県有田郡広川町)から移住してきた崎山治郎右衛門が1658年(万治元)前後に碁盤目状<ごばんめじょう>の街づくりをしたものです。かつてイワシがたくさんとれた頃は「外川千軒大繁昌」と言われたほど賑<にぎ>わいましたが、江戸時代は幾度も津波の被害を受け、赤松宗旦が著した『利根川図志』(口訳版)にも、「むかしは家が数千軒あった漁場であるが、今から七・八十年前に、津波のため、家を流されてなくなってしまったのだが、現在ではまた、家が数多く出来て大漁場となった。」と記され
千葉県銚子市外川町
(1)銚子電鉄外川駅から徒歩で
-
-