幕末、幕府軍とともに戦った新選組は、慶応4年(1868年)4月1日夜、総勢200余名で流山へ移動した。流山では、醸造家長岡屋を本陣として、光明院、流山寺などに分宿していたが、4月3日情報を得た西軍の先鋒隊に包囲されてしまう。近藤勇は、大久保大和と名乗り出頭し、幕府公認の治安隊であると主張したが、板橋へ連行されることとなる。その後、新選組の近藤勇であることが露見し、4月25日に板橋にて処刑された。この地は、近藤勇と土方歳三の最後の別れの地となったのである。
千葉県流山市流山2-108地先
(1)流山線流山駅から徒歩で
(2)東武野田線江戸川台駅西口から京成バスで
流山駅から徒歩で
(3)JR南流山駅北口から江戸川台駅行き京成バで
流山駅から徒歩で
備考:無料
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