真言宗智山派の寺である。所蔵の文書には由緒不詳となっているが、安政3年(1856)付で住ゆん覚玄に権大僧正免許之証が残されていて、その頃の隆盛さを偲ばせている。また境内の一隅にある欠けた板碑(石造卒塔婆)には永徳元年(1381)の刻字がある。昔、夜半に度々化物になったため、武士に切り付けられ欠けたところは、その時の切口だと言う伝説を持っている。
千葉県香取郡多古町西古内117
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