日蓮宗の寺である。「寺院明細帳」には由緒不明と記されているが、境内石塔場の内の一基に次の様に由緒の一端が刻まれている。この北中村坂並集落は、貞享3年(1686)から開発が始まって、宝永2年(1705)に寺を作ることなった。そして翌宝永3年(1706)に本土寺の末寺で日詮開基により、一山が創立されたとある。この地は、大鯉新田とも呼ばれ、柏熊新田と同じに、開発責任者は多古藩家老服部与五左衛門であった。その供養塔も境内に建っている。
千葉県香取郡多古町北中1381
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