玉造城跡

千葉県香取郡多古町南玉造1349番地2
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基本情報

応安の頃、(1368〜1371)から野平伊賀守常信が守っていたと伝えられ、城の絵図も残っている。天正16年(1588)小田原城落城により、小田原方であった当時の城主野平常義は僧籍に入り、家族は帰農する。そして城は開放されて、円教山得成寺が創られたが、明治12年(1879)火災により失われ、再建されることはなかった。

住所

千葉県香取郡多古町南玉造1349番地2

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詳細情報

  • 予算

    -

  • 駐車場

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