江戸末期の篤農家二宮尊徳は嘉永6年(1853)、幕府の命で日光神領の開拓に着手したが、病に伏し、3年後の安政3年(1856)今市報徳役所で亡くなった。明治31年に建てられた報徳二宮神社境内の裏手に墓がある。
栃木県日光市今市743報徳二宮神社内
(1)下今市駅から徒歩で
備考:無料
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