鎌倉時代、吾妻太郎助亮が築城。その後、行盛が城主になったが、貞和5年(1349)里見氏に攻められ自害。その子が城を奪回し六代続くものの、武田の将真田幸隆の攻撃をうけて落城。その後真田氏が支配し、武田領内の三堅城といわれた。現在は本丸跡や堅堀などの遺構が残っている。
群馬県吾妻郡東吾妻町原町
(1)群馬原町駅から徒歩で
時代:室町
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