足尾銅山から排出された鉱毒が、渡良瀬川の氾濫によって、沿岸住民に甚大な被害を与えた。いわゆる公害運動の先覚者田中正造翁は、代議士だったが、その献身ぶりは多くの人々から敬愛され、大正2年没後、雲龍寺など6ヶ所に分骨され、昭和8年に救現堂が建立された。
群馬県館林市下早川田町1896
(1)館林駅から車で
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