橘逸勢は平安時代の初め、藤原氏により伊豆に流されることになったが、この地まで来て病気で亡くなってしまった。公の一女は悲しみ、尼となり墓畔に一宇を建てて念仏を唱えていた。やがて逸勢の罪が許されると遺骨を掘り、鏡をうめて京に帰ったが、この鏡が盗まれた。その後、妙沖尼の孝心に感心して戸塚環海が「旌孝碑」を建てた。
静岡県浜松市北区三ヶ日町本坂
(1)天竜浜名湖鉄道三ケ日駅から車で
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