源朝長は、平治の乱(1159)で敗れた義朝の2男で頼朝の兄です。この乱で負傷した朝長は傷が悪化し、美濃青墓(大垣市)で自害した。家来であった大谷忠太は、朝長の首を抱いて故郷に帰り、この地に埋葬したといわれています。積雲院には、義朝、義平、朝長の石碑があり、毎年8月15日の夜には、市指定無形民俗文化財である朝長公の霊を弔う御祭礼が開かれます。友永の地名は、朝長に由来するといわれています。
静岡県袋井市友永648
(1)東名袋井ICから車で
創建年代:1185
備考:無料
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