碑石蒲鉾型の石碑。碑文表面にオランダ文でこの由来が書き込まれている。「この地下に正座のままの姿で埋没してある尊敬すべき人、その名をケイスベルト・ヘンミー先生という」となっている。その主な使命は日本との通商であり、オランダの使節として徳川将軍に会見し、長崎へ帰る途中、寛政10年4月24日、掛川宿中町の役人林喜太右衛門方に泊り、たまたま病気にかかりこの地で死去した。ときに寛政10年(1798)6月8日であった。
静岡県掛川市仁藤町5-5
(1)掛川駅から徒歩で
備考:無料
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