古くからこの地に小庵のあったのを1561年遠山景行の妻・安住尼が禅刹として開いたのが始まり。1572年景行が上村の合戦で武田勢と戦いつたなく敗れ、自害したあと、その遺体をひそかにこの寺の裏に埋葬したと伝えられる。景行と安住尼の二人の墓は寺の裏の杉木立の中にひっそりと寄り沿うように並んでいる。今も首塚として首から上の病によく効くということで信仰する人が多い。景行の墓前に木刀を供える習わしは武運つたなく散った景行の霊を「ご無念をご供養」として慰めるためだといわれる。
岐阜県恵那市明智町杉野
(1)明智駅から車で
備考:無料
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