飢餓、疫病等に対する祈願と犠牲者の供養のため建てられた南無阿弥陀仏碑は、明治三年、廃仏毀釈により取り壊しの命令がくだりました。しかし、石工した著作者は打ち砕くことはせず、四つ割にし踏み石として見えないようにしました。時は経ち、廃仏の嵐も収まった昭和十年、四つ割りにされた石を集め再建されました。
岐阜県加茂郡東白川村神土平
(1)白川口駅からバスで
時代:1935
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