天正の末ごろ佐藤秀方、方政父子が鉈尾山に居城していたが、方政が慶長5年(1600)の関ケ原の合戦で西軍に属して没落、そのあと飛騨高山城主の金森長近が長良川畔に小倉山城を築いた。しかし、その跡を継いだ子長光が10歳で死んだため、金森家は断絶、城も廃された。現在、城跡は公園になっている。
岐阜県美濃市泉町1571-3
(1)長良川鉄道美濃市駅から徒歩で
時代:江戸
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