思わぬ災難により江戸を離れた松尾芭蕉は谷村(都留市)でしばらくの間過ごしました。江戸に比べ冬の厳しい郡内(谷村藩)の自然と霊峰富士を間近に見る感動が、不惑の年を越えたばかりの芭蕉に大きな心境の変化を与えました。この谷村逗留が契機となり、その後「笈の小文」「奥の細道」の旅を経て、「風雅の誠」を俳諧の根本とする『蕉風俳句』が完成されました。谷村逗留中の名句を刻んだ句碑をめぐって焦風開眼のミステリーを解き明かし、また都留の自然の素晴らしさを満喫してください。
山梨県都留市
(1)十日市場駅から徒歩で(田原佐伯橋勢いあり氷り消えては瀧津魚この句について「甲斐郡内谷村に白滝という滝あり。また田原の滝とも云うよし、此滝にての句なるよしと伝う。」と底本にある。田原の滝の氷柱も消え、富士の雪解けで増水した桂川の清流に躍る魚とともに春を喜ぶ心情を詠んだ句。谷村逗留中の嘱目吟・天和3年(1683年))
都留文科大学前駅から徒歩で(楽山公園馬ぼくぼく吾を絵に見る夏野かな広い夏野を、自分を乗せた馬がぼくぼくと歩き続けている。暑い夏の旅だが、夏野を馬で行く旅人とは、畫題(ぐわだい)にでもなりそうなことだ。水の友・天和3年(1683年))
谷村町駅から徒歩で(城南公園行く駒の麦に慰むやどりかな旅行く駒が、今日はこの宿のもてなしに穂麦をご馳走になり、うまそうに食べている。自分もこの宿のもてなしに心足りていることだ。野ざらし紀行・貞享2年(1685年))
谷村町駅から徒歩で(ぴゅあ富士山賊のおとがい閉ずるむぐらかなあたり一面に雑草の葎がはびこっている甲斐山中で、下あご(おとがい)を閉じて無愛想な樵に逢ったさまを読んだ句です。続虚栗・貞享2年(1685年))
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