1864年11月30日、能都町鵜川出身。小学校教員を辞して後、(株)日本郵船入社。青森・函館連絡船・東海丸船長時代、明治36年10月29日、津軽沖でロシア船・プログレス号と衝突。船客・船員が全員救助ボートに乗った事を確認したあと「救命ボートに救いの手あれ」と、非常信号の綱を引きつつ自分は船と共に沈む。地元では顕彰会が設立。昭和9年に高さ6.6mの石碑が建てられ今も船長を語り伝えている。
石川県鳳珠郡能登町鵜川
(1)金沢駅から車で
(2)能登空港から車で
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