戦国時代活躍した剣豪で、藤原氏の後裔畑時能の子孫と伝えられる『剣聖草深甚四郎』の墓。草深甚四郎は、戦国時代剣聖と謳われた『塚原卜伝(つかはらぼくでん)』と互角に戦い引き分けたので、互いに弟子になりたいといった。という逸話や、天狗にさらわれ剣術を習ったという伝承が残されている。13歳で郷里を離れ、剣の修行をつみ、29歳のとき郷里に戻り、深甚流を編み出した。深甚流は加賀藩の武学校経武館に伝授され、多くの子弟を養育した。剣聖草深甚四郎の遺徳を偲び、昭和11年から慰霊祭と奉納剣道大会が行われ、県内から剣士が集まる。墓碑は、経武館の剣術師範だった木村惣太夫郎が流祖の創業を偲んで寛政5年(1793年)に建立したもの。
石川県能美郡川北町草深
(1)松任駅からバスで
-
-