長享2年(1488年)に加賀守護職富樫氏の居館高尾城を包囲した一揆勢を指揮する部将のなかに宇津呂備前がいて、数日の激戦で富樫政親を自刃させた。のち天正8年(1580年)、柴田勝家は一揆掃討に心を砕き、波佐谷城を攻撃。その孫宇津呂丹波とその子藤六を討ち取り、首は安土の信長に献じた。同年村上勝左衛門を波佐谷城に置いて反撃の守備を固めた。石段、石垣が残る。
石川県小松市波佐谷町
(1)JR小松駅からバスで
時代:室町
備考:無料
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