飛鳥時代、聖徳太子の命によって蘇我馬子が建立したと伝えられる寺。「中の太子」とも呼ばれ、太子町・叡福寺の「上の太子」、八尾市・大聖将軍寺の「下の太子」と並ぶ、「河内三大寺」のひとつ。実際は、この地方を本拠地としていた百済系渡来人の氏族・船史(ふなのふひと)氏の氏寺として創建されたと考えられている。7世紀半ばから8世紀にかけて造営された創建当時の伽藍は、南北朝時代の正平2年(1347)、「野中寺合戦」で焼失したが、境内に残る礎石から、創建当時は東に金堂、西に塔を配置する法隆寺式伽藍配置で、大寺院であったと思われる(国指定の史跡)。現在、江戸初期に再建された本堂や、真言律宗の学問所だった勧学院(大阪府指定文化財)などが残っている。また、白鳳期の弥勒菩薩半跏思惟像や鎌倉期の地蔵菩薩像は、ともに重要文化財。他に、歌舞伎や文楽でお馴染みの「お染・久松の墓」や府の天然記念物のサザンカも見所のひとつ。
大阪府羽曳野市野々上5丁目9-24
(1)近鉄南大阪線「藤井寺駅」より「野々上」バス停下車
敷地面積:16500平方m
備考:山茶花がある庭に入るには300円必要。
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