鎌倉勢との戦いで下・上赤坂城が相次いで落城したのち、元弘3年(1333)、楠木正成が金剛山の険しい山腹(標高666m)のところに築城し、わずかな兵力で100日間龍城、鎌倉勢を釘付けにしたことが『太平記』などで伝えられている山城の跡。その間に、源義家(八幡太郎義家)を祖先とする河内源氏の一門・新田義貞らが鎌倉へ攻め込み、鎌倉幕府は滅亡。以降、千早城は元中9年(1392)、北朝方の畠山基国によって落城するまで、楠木家の根拠地として約60年間、使われていた。現在、千早城本丸のあった跡地(国の史跡)には千早神社があり、正成・正行(まさつら)親子を祀っている。二の丸跡、三の丸跡なども付近にあり、さらにここから登山道を少し登ったところには「千早城跡五輪塔」が。地元では「首塚さん」と呼ばれ、正成の供養塔と考えられているそうだ。
大阪府南河内郡千早赤阪村千早
(1)近鉄長野線「富田林駅」より金剛バスに乗り換え「金剛山ロープウェイ行」に乗車「金剛登山口」下車徒歩30分
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