新羅の征討、官位十二階の制定、十七条の憲法の公布、多くの寺院の建立など、聖徳太子ほどたくさんの事業をなしとげた人物は歴史上でも数少ない。叡福寺の北にある御廟の地は、太子が生前に選んだものといわれている。49歳で亡くなった太子とその前日にこの世を去った妃の膳部大郎女(かわしべのおおいらつめ)、さらに2ヶ月前に亡くなった母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひと)も同じ廟所に埋葬されたので、これを「三骨一廟」と呼んでいる。
大阪府南河内郡太子町太子2148(叡福寺境内)
(1)近鉄長野線「喜志駅」下車金剛バスに乗り換え「上ノ太子」行に乗車「太子前駅」下車徒歩すぐ
備考:境内自由寺宝館200円
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