伊予の豪族の河野通有の子通元が本願寺覚如上人に帰依して「覚応」と改名し、九州の霧島山麓に一宇を建立し「覚応坊」としたのが始まり。1325年(正中2年)。そののち、数代を経て堺に移転した。先々代の住職、河野鉄南氏は与謝野鉄幹と晶子をひきあわせた人物だ。ここは晶子にとって特に縁の深かった寺院で、毎年5月29日の晶子命日には「白桜忌」が行われる。
大阪府堺市堺区九間町東3丁1-49
(1)阪堺電軌阪堺線「神明町」より徒歩5分
備考:拝観自由・無料
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