勝鬘院(愛染さん)の近くに鎮座、聖徳太子によって建立された、四天王寺七宮(上之宮・小儀・土塔・乾・河堀・堀越・久保)のうちのひとつ。四天王寺の乾(いぬい=戌亥=西北)に位置しているから、江戸時代では「乾社」と呼ばれていた。また毘沙門天を祀っていたので、「毘沙門堂」ともいった。『摂津名所図会』には、乾社のお祭りを描いた「六月十六日勝曼阪毘沙門祭」の挿絵が描かれている。慶応3年(1867)には大江神社に改称。毘沙門天も明治維新後の神仏分離で大津坂本に移ったという。また、明治40年(1907)には、上之宮・小儀・土塔が大江神社へ合祀された。かつては夕陽の名所だったことから、境内には「夕陽岡」の碑があり、歌人・藤原家隆が晩年を過ごした「夕陽庵」もこの辺りにあったという。
大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-40
敷地面積:6006平方m
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