寄手塚は、葛城山付近から産出する角閃石黒雲母石英閃緑岩(かくせんせきくろうんもせきえいせんりょくがん)を使用した石造五輪塔で、1331〜1333年(元弘1〜3年)の千早・赤阪の戦いで戦死した鎌倉勢の敵軍兵士の霊を弔うために楠木正成が建立したといわれる。「寄手」とは、敵軍の兵士のことを指すのだが、正成はあえて、敵という表現を使わず、寄手という表現を使って魂を静めた。味方の兵を弔うための身方塚よりも、寄手塚の方が大きい理由は、そのためだといわれている。身方塚は、赤く小さな石榴石(ざくろいし)を含んだ、黒雲母花崗岩(くろうんもかこうがん)を使用している。こちらは、戦死した味方(身方)の霊を弔うために建立したといわれている。味方の兵ばかりではなく、敵兵の慰霊碑を建てるところからも、楠木正成の人柄の良さをうかがい知ることができる。
大阪府南河内郡千早赤阪村森屋
(1)近鉄長野線「富田林駅」より金剛バスに乗り換え「森屋西口」下車徒歩10分
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