太子町役場の南東、科長(しなが)神社にほど近い小さな丘の上に、小野妹子の墓と伝えられる塚がある。歴史の教科書でもお馴染みの小野妹子は、近江国の出身とされているが、生年や没年など詳しいことはわかっていない。607年、聖徳太子が随の国と外交を開く際、遣隋使に選ばれ国書を伝える大役を果たした妹子は、生涯に2度、随へ渡ったと伝えられている。その一族は後に、学者の小野篁(たかむら)や、能書家として名高い小野道風(みちかぜ)など有能な人物を輩出した。太子町の塚は、眼下に推古天皇陵や二子山古墳を望み、町を見渡すことができる景勝の地にある。桜や紅葉の名所としても知られ、近隣の人たちからは「いもこさん」と呼ばれて親しまれているとか。
大阪府南河内郡太子町山田
(1)近鉄河内長野線「喜志駅」から金剛バス「御陵前」下車
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