能勢氏中興の祖といわれる能勢頼次(1562〜1626)は、戦乱期に織田や豊臣に抵抗して領地を没収され、流浪の身となったが、徳川家康に召し出され関ヶ原の合戦などで活躍。その手柄により旗本として能勢に復帰し、慶長6年(1601)、正行山清普寺を建立した。開山は玉持院日然上人。清普寺の名は頼次の父・能勢左近将監頼幸の菩提のために、法名である「清普院殿源光日順居士」からつけたといわれる。本堂は、日蓮宗方丈型の本堂としては府内最古。庫裏、表門、鐘楼(本堂とともに大阪府指定文化財)は十八世紀後半までに順次建てられ、近世寺院の伽藍(がらん)の様式をとどめている。境内の南と裏の2ヶ所には、能勢氏代々の五輪塔・墓石があり、圧巻だ。
大阪府豊能郡能勢町地黄815
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