1545年(天文14年)春、このあたりに病が流行し、病勢はなかなか止まらなかったが、こちらの神社の祈祷(きとう)した護札の効力があったため、庶民の崇敬を集めた。しかし天正年間(約400年前)の騒乱に際に社房は焼失してしまった。その後、三谷之荘内に種々の争論が起こったが、荘内に祭ってある神々を合祀することにより、荘内がまとまり争論がおさまり、今の地に、社殿を建て荘中の総社としたのが、今の種河神社の由来である。春には約100本の桜がここに咲き乱れ、家族連れなどで賑わう。
大阪府泉南市新家1087
(1)JR阪和線「新家駅」から泉南市コミュニティバスに乗り換え中回り「新家宮」下車徒歩5分
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