古代河内で勢力をもった額田首(ぬかたおびと)の子孫といわれる高内正定(たかうちまささだ)が織田信長に従い大坂石山本願寺との戦いに参加した後、その戦没者の霊を弔うために慶長2年(1597年)に建立しました。高内正定の法名、浄翁玄清居士から玄清寺と名づけられました。
大阪府東大阪市東山町11-17
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